ある娘とその母


女の子とその母親の戦いは、時に熾烈を極めることがあります。

 

 

ある高校生の女の子のお母さんは言います。

 

「確かに私は口うるさい母親だと思う。

ただね、あまりにもうちの娘は物事が分かっていないんですよ。

家の中での生活って、そのまま外でも出てしまうでしょう。

玄関の靴を揃えないとか、服を脱いだら脱ぎっぱなしとか、おハシの持ち方が悪いとか…

そういうことを直してあげられるのは、親だけなんですよ。

言われたくないことをあえて言うのも、親だからこそ。

ええ、全然言うこと聞かないから、手を挙げたこともありますよ」

 

お母さんは、だんだんヒートアップしながら、日頃の想いを語ります。

 

「眉を全部剃っちゃった時なんて、私、本当にショックだったんです。

あの子の自然な太い眉、可愛くてとっても素敵だったのに…。

どうしてわざわざ、妙なことして、不細工にしちゃうの、って…」

 

お母さんご自身の眉は、少しだけお手入れされている、わりとナチュラルな眉です。

女の子は、つけまつげに細眉だけれども、特段、「いかにもギャル」というわけではなく、

全体的に「キレイめナチュラル」といった感じの、可愛らしいお嬢さんです。

 

その子が眉を全部剃った日、お母さんは、

「なんてことしたの!気持ち悪い顔!」

と、思わず娘に言い放ったと言います。

 

 

眉だけでなく、

茶髪、ピアス、バッチリのお化粧…

 

その子の行動の一つ一つが、お母さんには理解できなかったのです。

 

「第一、それって校則で禁止されてるものでしょう。

そういう『気の緩み』があると、すぐ悪いことって付け入るのよ」

 

「悪い芽」は早めに摘んでおかないと。

そう考えて、止めさせたいと思ったというのはよく聞く話です。

 

 

「髪や化粧のことだけで終わらずに、

導火線みたいに火が点いたら最後…行き着くところまで行っちゃうんじゃないかって。

お金のために援助交際始めたり、変な男に捕まって妊娠しちゃったり…

不安ばっかり、ばぁぁって一気に膨らんじゃって…」

 

そこまで言って、ちょっと話が飛躍したかもしれない、

と、お母さんはフッと笑いました。

 

 

お母さんの心は、こんな風に感じていたのかもしれません。

「うわ!前の眉って、太くて子どもらしくって可愛いかったのに、ショック。

このまま私の理解できない世界に行ってしまう気がする。。

この子、なーんにも考えてなさそうだし、すーぐ厄介なハナシに巻き込まれそう…」

 

思わず「気持ち悪い!」と言い放ってしまったけれど、

本当は、ショックな気持ちと、心配な気持ちが入り混ざっていた。。

 

そう返すと、お母さんは、そうそうと強い調子で頷きました。

 

 

ただ、

お母さんの、そんな複雑な気持ちを代表して出された、「気持ち悪い!」という言葉は、

娘の心にグサリと刺さったかもしれません。

 

そうした擦れ違いって、よくあります。

一緒に長い時間を過ごす関係であればあるほど。

 

ただ、そうした小さな小さなコミュニケーションの失敗が積み重なって、

大きな大きな溝に発展することもあります。

 

 

 

お母さんは、話すうち、

自分と娘とでは、

「世代が違うために、『当たり前』と思っている習慣が全く違うこと」

「性格やタイプも全く別モノの、別人格であること」

という『当たり前』のことに、自ら気付いてゆきました。

 

そして、違いを認めていなかったばかりに、自分の価値観を全面的に押し付けていたのだということにも。

 

 

「最初から、合わなかったのよねぇ、あの子とは。

親子なんだけど、合わないなんてことがあるのよね」

 

「大人になったら、手を離れて、独り立ちしていってほしいとは思ってるのよ。

そう考えると、結局はいつまでも手元にいるわけじゃないのよね」

 

「他人の子を見てると思う方が、ずっと気が楽なんだろうけれど。

自分の子どもって思うから、許せなくなっちゃうのよね。

ひょっとしたら、子どもは『預かりもの』ぐらいに考えるとちょうどいいのかもね」

 

「別に、私の思い通りに育ってほしい、なんて思ってたわけじゃないんだけど…

ただ『ちゃんと自分の頭で考えて行動できる子になってほしい』って思ってただけだったの。

あの子、ずーっと携帯の画面を見てるだけで、何にもしないで一日終わっちゃうから…

なーんにも考えていないようにしか見えなくて…

だけど、『ちゃんと自分の頭で考えて』なんて、子どもからしたら、何をどうすればいいのか全然分からないわよね。

それで結局、その日の気分で怒ったり怒らなかったりするもんだから、

自分に都合のいいように叱る親だって見られてても、仕方なかったかも」

 

 

一部始終を吐き出した様子のお母さんは、少しスッキリした表情で、最後に、ポツリとこう言いました。

 

「旦那に頼るのが無理だって諦めてから、全部一人で背負ってきた気がします。

いつも子どもを相手に、早くしろだの、こうしろああしろだの言っているけれど、

大人の人と、こんなにお話するのって、すごく久しぶりな気がします。

聞いてもらえてよかった。

初めて考えました。自分が子どもに対して、本当は何を思っているのか」

 

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もう一つのストーリーを紹介すると、

このお母さんには、高校生の娘のほかに、実はもう一人、大学生の息子がいます。

そして、息子に対しても、娘と同じように、いや、もっと厳しく対応してきたと言います。

勉強しろ!と言って聞かない時には、包丁を持ち出して怒鳴りつけることもしばしば。。

 

ちなみに、「家」でのトラブルって、

それ以外の場でのトラブルよりも圧倒的に「包丁」の登場回数が多いのです。

包丁が置いてある場所だから、当たり前と言えば当たり前なんだけれど、

肉や魚、野菜を切り、「食べる」という生命の営みをする場所である家の中では、

その大切な道具が時に「凶器」に変わります。

そのとき、愛情が「狂気」に変わったようにも見えます。

家の中って、もしかすると、暗い夜道よりもずっと、事件が発生する確率が高いかもしれません。

かつて『民事不介入だ』と言っていた警察も、

この頃は、かなり立ち入って家族のトラブルに対応してくれるようになったのではないかと感じています。

 

話は逸れましたが、

この「包丁を持ち出す母」と息子の関係は、

息子が年頃になった時、家庭内暴力という形勢逆転が起き、一つの危機を迎えました。

 

その後、

未だに和解には至っていませんが、お母さんのスタンスが徐々に緩まる中、

ゆっくりと雪解けを迎えているとのことです。

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息子と母の関係においては、力関係の逆転という、必ずやってくる一つの山があります。

娘と母の関係においては、そうした分かりやすい逆転劇が起きないことが多い分、

関係が「途絶える」、気持ちが「切れる」ことが起きやすいのかもしれません。

 

 

このお母さんは、たとえば「児童相談所的」には、間違いなく要注意人物だったと言えるでしょう。

詳しくは書きませんでしたが、子どもにとってはかなりキツかったであろうエピソードも、お母さんの口からたくさん出てきました。

 

それでも、ゆっくりと元を辿ったときには、「生まれたばかりの瞬間」の喜び、愛情に必ず還ってゆき、

掛け替えのない存在である子どもが愛しい、という気持ちを語るのが「お母さん」なのかもしれません。

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「明日、ママがいない」のドラマに対する批判として、

そして、ドラマを見た感想として、

 

「一体、パパはどこにいるんだ!!!」というものがあり、思わず頷きました。

 

あのドラマに「ママがいない」のであれば、パパは「もっといない」のです。

 

ママが一人で子どもを背負っている、ということの裏返しだとも言えます。

2010年夏、世間を賑わせた、大阪市内のマンションに二人の子どもを置き去りにして、

男と遊び回っていた「お母さん」は、幼児虐待の殺人鬼として、懲役30年を背負いました。

 

企業戦士の男性が、専業主婦の奥さんをもらって、妻子を養うために必死に働く、

そんな構図すら、もはや成立しにくくなってしまった、この時代。

なおさら、ママが子どもを背負っていくとはどういうことか、社会全体で考えていかねばならないのかもしれません。

 


About Mutsumi

龍庵塾でブログを担当している「むっちゃん」です。 ペンネーム:芦田むつみ コモンセンス・ペアレンティング・トレーナー


4 thoughts on “ある娘とその母

  • イブ

    母親への支援とケアの必要性も世の中に認知されますように。
    日本は、母親の我慢が当たり前のような・・・耐えることが美徳のような・・・
    その価値観が変わっていく必要があると思う
    まなびの場が開かれていきますように。

    • Mutsumi Post author

      イブさん、ありがとうございます!
      本当にそのとおりですね。
      女性が声を上げるようになったことで、
      世の中が変わっていきました。
      母親はもっとがんばるべき!と叫ばれているようなこの時代ですが、
      どうか、既にがんばっているお母さんたちが救われますように。

  • まゆこ

    あぁ私の親もこうだったな…そして私もまた、子どもにたいしてこうだったな…ととても共感しながら読みました。
    愛している気持ちは、もしかしたら人一倍なのかもしれない。でも、愛し方がわからないんです。健康的な愛し方が。そして自分も子どももどんどん傷つけてしまう。間違った愛情表現が自分の奥底から湧き上がってきて止められない。そして自分を責めます。
    まずは自分自身を、それから子どもの時の自分を思い切り愛してあげること。。愛せるようになったら、子どものありのままの姿を心から尊重して愛せるようになるんだなと思います。
    そんな、頑張ってるお母さん達を応援してくれる人がいたらとっても安心します。

    • Mutsumi Post author

      まゆこさん、コメントの一言ひとことが、すっごく心にしみて、響いています。
      本当にありがとうございます。お返事遅くなりました。
      そうなのです。愛情は人一倍、だけど、「方法」って案外知らないし、誰も教えてくれないんですよね。さらに、「知らない」ということに気付いていないこともある。
      まずは、お母さん自身が愛を受け取ることから始まるのかもしれません。
      そのスタートボタンを押す役割には、
      気持ちを汲んで共感することができ、優しく、強く、エネルギーもあり、ハイヤーパワーの恵みを受けた
      まゆこさんのような先行く先輩こそが、最もふさわしいのではないかと感じています。
      応援します。
      そして、一人でも多くの人に、「簡単には、すぐには上手にはできないし、悩みも尽きないけれど、こっち側に来たら間違いないよ」というメッセージを、送りましょう◎

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